子供のわがままを直したい?それ自分本位な親のわがままじゃないの?
ママボヘミアンです。少し煽り気味のタイトル付けちゃいました。笑
私は親がこどもについて「わがままを直す」という表現は好きじゃありません。大の大人だって自分勝手でわがままな人は大勢います。親の都合に合わない事をとらえて「わがままが過ぎる」というのは果たしてどうなんでしょうか?
是非一緒にこどもの「わがまま」と向き合い方を考えてみてはいかがでしょう? 私自身母親ですので自然と母親目線になっておりますが、世のお父様方もしっかり考えてみてくださいネ。
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自我とわがまま
私のこどもは1歳を過ぎ、2歳を迎え、色んなことを知り、できるようになり、そのできることも増えていきます。
与えられることだけでなく、様々な場面で自分の行動を選ぶようになった。とても喜ばしい成長です。
しかし喜ぶべき成長であっても、親として試練の到来でもあります。
親のしてほしいことと、こどものしたいことに違いが出てきます。そこで何を基準に行動していけばいいだろう。どう選択すべきか?どこまで許容すべきか?
その指針として、自我とわがままの違いを考える。そんなお母さんは多いのではないでしょうか。
自我とわがままの違い
自我とは、「自分。自分(意思)をもつこと。」
わがままとは、「他者のことを考えず、自分の思い通りにふるまうこと。」
このように私はとらえます。
ここで注目したいのは、「他人のことを考えず」という部分です。この時期のこどもが、他人のことを考えられないのは当たり前のこと。そのうえですべての行動は自分の思うままに行いたいという感情も、至極健全で当たり前のことです。
理性を育む教育
私の子供にはまだ理性は備わっていません。
当たり前に備わっていない理性だから、親が教えることで育てなければいけないとも思います。他人に迷惑をかけること。そうわがままを定義すれば、ほとんどの親御さんは迷わずにすむでしょう。
だけど、私達はこどもの親です。他人ではありません。だから迷うのだと思います。
「甘えさせること、甘やかすこと」に。
この線引きが、そのまま自我とわがままの線引きに結びつくように思うのです。
わがままがこどもにとってプラスの成長に繋がる
「こどものやったことだから仕方ない」
「迷惑」というのは、受ける側の感じ取り方次第で変わるものがあります。相手によって許容されれば、それはわがままではなくなるのです。
親が「こどもだから」という前置きを使えば、次に続く言葉として何を思い浮かべますか?
私が一番に思いついたのは、「仕方ない」という言葉です。「こどもだから仕方ない」「こどものやったことだから仕方ない」
これは私にとって甘やかしの言葉です。私はできるだけ「こどもだから」という考え方は排除して、いずれ大人になる一人の人間として、こどもと向き合うことを心がけています。
何をわがままの基準とするか?
では親と子で意見がぶつかったときに、何を基準にわがままと考えるのか?
こどものとる行動がプラスの成長に繋がるか否か。我が家ではそこをポイントに判断してきました。
例えば食事の時間。
一度でも食べられたものを、満腹以外の理由で選り好みして食べない。別のものを要求する。
立って食べたい。歩きながら食べたい。今は食べたくない。でも食事以外の時間には食べたい。
好きなときに好きなものを好きなように食べたい。大人でもそうですよね。でもこれは許される自我でしょうか。
- バランスよく栄養をとること。
- 規則正しい生活の中で食事の時間を守ること。
- 食事のマナーを守ること。
私の中で、こどもの自我より優先させるべきことです。
失敗を成功させる
だけど、我が家にも例外があります。一見マナー違反に見える遊び食べ。これは時と場合によって、こどもに必要な経験でもあると思います。
例えば、味噌汁とサラダを混ぜる。大人なら、そんなことしませんよね。マナー以前の問題で、組合せのまずさが想像できます。
だけど、こうするとどうなるのだろう?そういう好奇心の芽をやみくもに摘んでしまうことは、こどもにとっての発見を奪うことでもあると思うのです。でも、親としては教えなければいけない。難しいところですよね。
そんな場面にでくわしたら、私はこどもの行動をあえて見ないようにします。気づいていないふりをするということです。
そしてこどもの様子を盗み見て、もうそろそろ充分だと判断したところで、はじめて気づいたように声をかけます。
あえて、失敗を成功させるのです。その失敗に基づいて、注意をします。
「まずかったよね?お行儀も悪いよ。やめようね」
やめなければ、お皿をさげます。
「やってあげる」とこどもは自身でする機会を失う
していいことと悪いことの判断は、自分にとって都合がいいか悪いか。恐らくこの時期のこどもはまだ、相手を思いやれるところまで情緒が発達していません。そこまでいくにはまだまだ時間がかかります。
だから、こどもにもわかる言葉で短く説明し、行動で示す。そのほうが、叱ることの何倍もこどもにわかりやすく、効果があります。そして親がその姿勢を徹底すれば、諦めること・我慢することを学びます。
食べられるものを、食べないことの他にも、
歩けるのに、歩こうとしない。
着られるのに、着ようとしない。
できることを、しない。
これは甘えたいという自我かもしれませんし、したくないから代わりに他者にやらせたいというわがままかもしれません。
時々によって判断は変わるでしょうが、基本的にはわがままとして扱います。なぜならやってあげることは簡単ですが、
こども自身でする機会を奪うことになるからです。甘えさせることは、他の場面でいくらでもできるからです。
子のわがまま、親のわがまま
自我と自我のぶつかり合い
自分でやりたい。やらせらくない。
まだ遊びたい。帰りたい。
服を選びたい。その服はやめてほしい。
あれが欲しい。与えたくない。
あれがしたい。させたくない。
私にとって、これらは全てわがままではなく、自我です。自我のぶつかり合いです。私ならできる限りこどもの要望に合わせます。しかし、できる限りです。
親として一番つらいのがもっと遊んでほしい、相手にしてほしいという要求。いつもべったりだと、たまには一人で遊んでほしいと思うのが本音です。できる限りこどもの希望を汲み取っているつもりでも、やはり大人として、主婦として優先してやらなければいけないことというのはあります。
こどもの目から見ればこどもの相手をしない親のほうが、自分勝手という意味で、わがままな親に映るかもしれませんね。
親も我慢、子も我慢
ですが全てを合わせるなんて不可能ですし、その必要はまったくないと思うのです。むしろこどもに不都合はなければならない。思い通りにならない経験からしか、我慢することは覚えられません。
冒頭の言葉を覆しますが、親といっても、こどもとは別の人間です。そういう意味では他人です。親が嫌だと思えば、それはこどものわがままにもなるのです。
そのわがままをどこまで甘えと受け入れるか、どこまで甘やかさないと決めるかは、こどもにどういうふうに育ってほしいか、その姿をイメージすればおのずと決まってくるものではないでしょうか。
(著:ママボヘミアン)
写真クレジット
photo credit: Blindfold via photopin (license)
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